■行市山 MTB          ■自転車旅行記へ

2010年2月7日(晴れ)

土曜日から日曜日にかけて今年一番の大雪となり、京都の市街地も初めての本格的な降雪に見舞われた。最近、緊張感が足りてないのか朝起きることができず、予定よりも2時間遅れの出発となる。電車から外の様子を眺めながら、あまりの雪の多さに気分が萎える。鶴翼山や荒神山あたりにしておけば良かったなどと湖南の山々を名残惜しく見送りつつ、豪雪地帯の余呉駅へ。

余呉駅から国道365号を北上、今市の集落まで走る。そこから登山口の方にかけては一面深い雪に覆われて道が分からず、気付けば田んぼの中を歩いていた。ひざ下まで沈む壷足によろめきながら登山口に辿りつく。戦国武将、柴田勝家の身代わりに討ち死にした毛受兄弟の墓がある場所だ。少し開けている所なのでここで一休みしてスノーシューを装着。入口にはしし除けのフェンスがあり、扉が雪に埋まって開かないが、フェンス自体がまたげるほどの高さになっている。

9:31 今市集落

9:45 毛受兄弟墓登山口

スノーシューを履いても20〜30cm沈み、始終、重い雪で重労働を強いられる。この二日間で50p位の新雪があり、さすがにこの間は誰も登ってないようだ。最初は勾配は緩いが、最初のピークの中谷山直前では急登になる。中谷山の四等三角点は深い雪のどこかに埋もれ、代わりに中之谷砦跡の木標が頭を覗かせている。

ここから進む方角が南に転じるが、余呉の町がよく見渡せる。間もなく林道へ降りてくるが、ここですぐに林道から離れてまっすぐ進むべきところを、林道の方へ進んでしまう。矢印のついた看板が立っていたが、道が雪で埋もれていて分かり辛かったので、そうせざるを得なかった。林道も深くて重い雪に覆われ、進みにくい状況は変わらない。林道の途中でカーブミラーのある辺りから適当に斜面に取り付き、再び稜線へ戻ってくる。が、その先で再び林道を横切ることになり、その先は別所山への登りとなる。

11:23 林道と合流

11:28 林道途中のカーブミラー付近から入る

二つめのピークが別所山で、ここも砦跡であり説明板が立っているが、三角点ではない。中谷山も別所山も、砦跡を示す目印がなければ気付かずに通り過ぎてしまうような山だ。別所山からは、目指す行市山のピークが木々の間から見えている。もう手に取るように近くに見えるのだが、実際はまだ半分である。時計を見ると12時、ここまで2時間以上かけているのに、まだ半分だ。

別所山を過ぎてしばらくはなだらかな尾根が続くが、それを過ぎると長い急登の連続である。この間は極端にペースが落ち、一向に進んでる感じがしなかったので、時間切れによる撤退も頭に入れながら登った。登山道の近くで大きい音がするので見ると、いのししが鼻で雪を掘り返しながら進んでいた。餌を探しているのだろうか。しかし、この時期に餌になるようなものなど殆どなく、冬を越すには余りに厳しい環境である。

12:20 別所山を過ぎた所の尾根

13:46 県境尾根

県境尾根の手前で、ようやく急登が終わる。県境までくると、雪質も締まってきて多少快適になる。相変わらずスノーシューを着けていてもよく沈むが、これならいつまでも歩いていけそうな感覚になる。10分余りで行市山の山頂へ。時間は2時前。登山口からほぼ4時間かかった。

山頂一帯は草木が刈り払われているようで、余呉の町と金糞岳から伊吹山にかけての眺めが素晴らしい。陽がよく当たるためか、周囲よりも積雪が少なくて固くなっているが、それでも1.5メートルは積もっている。笹や潅木で視界が狭くなる無雪期には、ここまでの展望はないだろう。が、これほど苦労して登ってきたにもかかわらず、町が近くに見え、大した標高差でないことをも実感させられる。

13:54 山頂より (左:金糞岳、右:伊吹山)

14:10 自分のトレースを追って下る

下山路は、時間短縮及び長い林道歩きを回避するため、往路を戻ることにした。それでも一気に下る道ではないため、さすがに長く感じた。夕方、帰り道の集落の道を歩いていると、同じくワカンをつけて歩いている地元の人が、自転車など乗る所がないだろうと呆れていた。もちろん、山頂まで行ってきたなどとは云わなかった。

カシミール3D及びGPSトラックデータにより作成

【今市(9:25)〜毛受兄弟墓(9:45/10:00)〜中谷山(11:15)〜別所山(12:05/12:10)〜県境尾根(13:43)〜行市山(13:55/14:07)〜別所山(14:55)〜中谷山(15:30)〜今市(16:28)】

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