■飯豊山 MTB          ■自転車旅行記へ


●2014年8月12日(雨)

新幹線と在来線を乗り継ぎ、6:17京都出発~8:30東京駅~10:49新潟駅~11:26新津駅~12:57徳沢駅着。

JR徳沢駅では軽く雨が降っていた。自分の他に、ザックを背負った若い男性が一人下車した。その男性は駅員に路線バスがないか尋ねていたが、ないと言われてタクシーを呼んだようだ。2つ隣りの野沢駅からなら乗合バスが出ていたのは自分も知っていたが、予約が間に合わずあきらめて登山口までの距離が短い徳沢駅にした。合羽上下を着てフードは被らずに、20km標高差300mを走る。

途中で国道(杉木峠)と旧道との分岐があり、標高差の少ない旧道を選択。しかし、しばらく進むと通行止めのバリケードが…。ここで戻るのは面倒なのでそのまま進む。

旧道は随分前から廃道になっているようで、舗装ははがれて荒れ放題だった。幸い、崩落しているような箇所はなく、無事に通り抜けができた。

  閑散とした集落を走る。奥川に沿って点々と集落が続いているが、どこも侘しい雰囲気が漂っている。街並みが古く、崩れそうな土蔵の建物などが多い。

1時間半ほどで弥平四郎の大阪屋旅館に到着した。旅館の周囲は集落を形成していたが、携帯の電波は届かないようだ(Softbank)。

宿泊者は他に4名。皆、登山客であった。旅館には先祖代々の写真と立派な仏壇を備えた仏間があり、その奥の座敷に皆で雑魚寝する。少々暑くて寝苦しかった。

 


●2014年8月13日(晴)


4時半に旅館を出発する。旅館の送迎サービスで一気に弥平四郎登山口に着く。登山口にはマイカーが何十台も停まっていた。このところの豪雨の影響で車道が崩れて川入登山口へたどりつけないため、こちらへ登山者が流れてきているらしい。さて、登山口でコースが二手に分かれている。沢の近くを行く峠道と、最初から尾根を伝っていく新道である。登山前に調べた情報では、豪雨の影響で最初の徒渉ができないため峠道は通行不可となっていたため、尾根伝いの新道を行く予定であった。ところが、橋も復旧して峠道も通れるようになっており、そちらの方が新道よりもはるかに楽だと聞いたため、祓川山荘経由の旧道コースに変更することにした。

5:00、徒渉は写真のように橋が復旧していて何の問題もなかった。しかし、ガイドブックにも比較的楽だと書かれているこのコース(弥平四郎~松平峠)は自分にとってこの日一番の地獄の苦しみとなった。

なぜなら沢に沿っているためか、死ぬほど大量の虫につきまとわれたからである。いくら払っても何十匹のブヨと藪蚊が次から次へとわいてくる。休憩も全くできず、この道を選択したことを後悔した。

  7:20、やっとの思いで松平峠に着いた。ここまでくれば虫が少なくなった。しかしすでに、左の掌を見るとブヨに刺されたと思われる穴が開いていた。

峠から先は尾根道で植生も低くなったが、直射日光が容赦なく照りつけるだけで、全く心地よい風は吹かなかった。ただ、虫が少なくなっただけでも有難い。

ようやく主稜に乗り上げ、8:35、最初の山頂である疣岩山(1654)に到着。ここからは飯豊連峰を一望することができる。
  9:20、続いて三国岳(1644)。ここは新潟、福島、山形の三県境だ。ガスがかかりはじめたが、案の定、ほぼ無風状態が続いている。どうやらこの日は涼しい風は期待できないみたいだ。

少し行くと、最初の難所であるハシゴが登場する。このハシゴの上部が鎖になっている。区間は短く、右手で自転車を担ぎながら左手一本で難なくクリア。

11:00、種蒔山(1791)にて。まだ遥か向こうに飯豊山のピークが見えている。それにしても晴れすぎ。暑い。

 
切合小屋の手前にて。正面に飯豊山(2105)、遠く左には飯豊連峰最高峰の大日岳(2128)。大日岳は縦走路から少し離れているため、今回はスルーするつもりだ。これだけ眺めがいいのに、やはり風がない…。登山口に駐車していた車の台数のわりには、それほど多くの登山客にも出くわさなかった。

雪渓の側を通過する。

13:00、御秘所の鎖場を通過する。

  片手だけでスイスイと登って行くわけにはいかず、少し無理な姿勢になりながらも滞りなく通過した。この日一番の難所であった。

14:30、本山小屋に到着。小屋の前には管理人が仁王立ちしており、小生の自転車を眺めて驚いたような呆れたような表情をしていた。この辺の避難小屋は全て管理人が常駐しているようだ。とにかく、9時間半の長時間でかなり疲れた。特に前半の蒸し暑い中、ブヨの攻撃を受けながら休みなしに一気に登りつめてバテたのが原因のようだ。小屋からは山頂がすぐ近くにある(片道約15分)。明日は天気が悪くなるかもしれないから今日山頂に行っといたほうがいいよと誰かが言っていたが、眺めなんか全くどうでもいいやという感じで、すぐに寝袋を敷いて横になった。避難小屋は予想通り満員になり、30~40名程が宿泊することになった。


●2014年8月14日(曇)

寝ている間、お馴染みのイビキ合戦もそうだが、ブヨに刺された左手が死ぬほど痛痒くなり寝付けなかった。掻けば掻くほど大きく腫れていくようで、何度も目を覚ました。結局、前日あれだけ体力を消耗したにもかかわらず熟睡したのは2時間程度のまま、4時過ぎに周りに合わせて起床した。天気は小雨がぱらついているようだった。管理人が、今日は良くも悪くもならない、ずっとこんな感じの曇りだと皆に知らせていた。自分は朝食を食さないので、5:00、一足早く山頂に向けて出発した。

15分で飯豊山(2105)の山頂に着いた。百名山のMTB登頂44座目は、曇天のためさえない眺め。昨日だったらもっと眺めが良かったのに、などということは考えないで先に進む。

少し先にある小ピーク、駒形山(2038)から飯豊山を振り返る。

  6:30、御西岳(2012)。この少し先に避難小屋があり、数名の登山者が準備をしていた。ここで水を補給したが、水場までやたら遠かった。7時過ぎ、再出発。

昨日ブヨに刺された左手がズキズキと痛む。掌の親指の付け根のところに2カ所刺し傷があり、その周りが大きく腫れていた。

8月中旬でも山肌のあちこちに雪渓が見られる。登山道に残雪が残っている所もある。

  御西小屋から先の縦走路は人が少ない。あいにくの曇り空だが、たおやかな稜線が連なっていて眺めはいい。ただ、見た目以上にしんどかった。

10:15、コースタイムより少し遅れて烏帽子岳(2018)に着く。この時点でかなりバテていた。

足に激痛が走り、自転車とザックを放り投げて靴を脱ぐ。足の指と踵にマメができてつぶていた。絆創膏を貼ろうとしていたが、たまたま通りすがりの人がテーピング用のテープを分けてくれた。大助かり!

  誰もいない梅花皮小屋を過ぎ、再び急坂を登り返して12時過ぎ、北股岳(2025)に着いた。山頂は雲の中。

門内岳(1887)を過ぎ、13:20、門内小屋に着いた。この日も8時間以上行動し、連日の疲れがたまっているのですぐに横になったが、夕方、ふと外を見ると晴れてきていたため、水場でシャツやタオルを洗った。シャツは着ながら乾かしたのですぐ乾いたが、タオルは乾かなかった。左手の腫れが昨日よりだいぶ大きくなった。他にも首筋やでこが少し腫れていた。本山小屋と同じく二階建ての避難小屋で、結局20人くらいが泊まった。

翌日予定していた梶川尾根を下るコースは、通りすがりの多くの人から、両手両足を使わないと通過できないような急峻な尾根であり自転車だと滑落のおそれがあると脅されていた。小屋の管理人によると、この辺りの尾根はどこも大差ないが隣の丸森尾根の方が若干ましだろうということなので、予定を変更して丸森尾根を下ることにした。


●2014年8月15日(晴のち雨)

この日は午後から天気が崩れるとの予報であったため、食事もとらず4時40分に門内小屋を出発した。(写真は門内岳と門内小屋を振り返る。)

梶川尾根との分岐、扇の地紙(1889)で道を間違えて薮に突っ込む。この稜線上もブヨが多かった。朝露が多く、風がないためであろうか。払っても払ってもついてくる。

  出発して一時間後、地神山(1850)三角点にて。

6:00、丸森尾根との分岐である地神北峰(1800)に着いた。予報に反してよく晴れていて、北方の稜線上にある杁差岳(1634)方面がよく見通せる。ここから標高差1400mもある急坂の丸森尾根を下ることになる。

  このように1m程度の落差のガケが延々と連続する。

丸森峰のピーク付近。この辺りだけなだらかになっているが、決して歩きやすい道ではない。ブヨから逃れるようにして先を急ぐ。

そこを過ぎれば再びガケの連続。さすがは評判通りの悪路である。地形図の等高線を見た限りでは、それほど急ではなさそうなのだが…。

  ブヨは下るにつれて少なくなってきたが、今度は天気予報に反して蒸し暑くなってきた。日射が容赦なく照りつけ、少々熱中症気味になる。
こんな垂直のガケであっても、ロープは張られていない。丸森尾根上ではロープや鎖の類は一切なかった。

道は登山口に近づくにつれてますます急勾配になる。標高650m付近の岩場。今回のコース全体の中において一番の難所であった。

  岩場の全景。普通ならロープか鎖が垂れ下がっているはずの道である。自転車がなければ余裕なのだが…。

この山はトンボの数が非常に多かった。ブヨを餌にしているからだろう。ちなみに今回、ハッカ油スプレーを試してみたが、ブヨにはほとんど効き目がないように感じた。

11:00、標高差1400mの丸森尾根を下り、飯豊温泉登山口にやっと降りてきた。厳しい下り道と蒸し暑さのせいで既にバテバテ。

  目の前の飯豊山荘にたおれこむように入り、アイスにむさぼりついたら最高にうまかった。ついでに食堂で食事もしたが、25分待たされた上に2分で完食してしまう量だった。残念!

その後、飯豊山荘から小国駅までバスに乗ろうとしたら3時間待ち。昭文社の地図には「1時間に3本」と書いてあったから当てにしていたのに、時刻表をどう見ても「3時間に1本」しかない。あきらめて小国駅まで自走することにする。2時過ぎ、雨が降り出すぎりぎり直前に小国駅に着き、駅前にある「ビジネスホテルいづみ」に泊まる。


●2014年8月16日

帰りの電車にて、ブヨに刺された手の写真を撮った。こちらは13日に刺された左手。腫れはひいているが、親指の付け根に2箇所刺された痕が残っている。

こちらは15日に刺された右手。刺されたのは手首の所一箇所だが、指の第一関節からひじの上まで広範囲にわたり大きく腫れてしまった。

  同日の夕方。刺された所を中心に水ぶくれが無数にできていた。この腫れが完全にひくまで約1週間かかった。傷が完全に直るまでには1~2ヵ月くらいかかりそうである…。

翌日、ニュースを見たら16日に梶川尾根の登山口に近い急傾斜の道で66歳女性が滑落死したことを知った。当日の天候は雨で、梅花皮小屋を朝6時に出発したというからそこそこハードな行程だったと思われる。コースタイムは若干長くなるが、丸森尾根の方を選択していれば事故に至らなかっただろう。残念な出来事である。とはいえ、丸森尾根も今までに下った尾根の中では一番辛かったように思う。個人的には、剱の早月尾根よりもしんどかった。

おわり



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