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●2006年8月12日

最近、ココイチにはまっており、5日連続で1日1~2回行っている。しかしほとんど運動をしていないため、出かける直前は体重が71kgまで挽回していた。少し太りすぎたため、京都から東京まで自転車で走って一気に痩せなければならない。

朝7時に起きてすぐに出発。空は曇っていて走るにはいい感じだ。久しぶりに通る逢坂越も、体重が80kg近くあった前回とは比べものにならない位に楽だ。

快調に走っていると、10kmほど過ぎたところで後輪に嫌な感触が…。後輪は前日にチューブ交換していたのでまさかと思ったが、スローパンクだ。空気圧が高すぎたのかもしれない。チューブ交換をして携帯用ポンプで空気を入れ直し、再出発。余計な足止めを喰らった。

9時過ぎから日が差し始めたため、日焼け止めクリームを塗った。鈴鹿峠は、三重側に比べると滋賀側の方が坂が緩く、楽勝で通過した。

鈴鹿トンネル

四日市に入ると工場が多くなってきた。トラックが多く、空気も汚い。ここは空気も悪いので早く過ぎ去ろうと思った。

腹が減ってきたのでココイチ桑名国一店で食事した。「カウンター席へどうぞ」と言われたので座って注文を待つが、5分たっても注文に来ない。途中でカウンターの上に呼出しブザーがあるのに気づいて押してみたが、それでもなかなか来なかった。店の中は特別混んでいるわけでもなく、半分以上空席だ。普通のココイチは、真っ先に水を持ってきて注文をきくか、注文が決まらないときにはブザーの説明をするものだ。やっと水を持ってきたので注文したが、今度はなかなかカレーが運ばれてこない。さらに10分は待たされた。挙句の果てに、店を出るときの「ありがとうございました」の一言がない。これはひどい。こんなココイチは初めてだ。今度、アンケート葉書に書いて送りつけようと思う。

とは言ってもカレーはうまかったので満足して店を出た。チャリがドロドロになっていたので、カレー屋にあった使い捨ておしぼりで自転車を拭いて再出発。どんどん交通量が多くなる。

名古屋のコンクリート舗装

名古屋に入るとコンクリート舗装に変わった。確かにデコボコのアスファルトよりは走りやすいが、のちのちめくるのが大変そうなのに何故こんな舗装にしたのだろうと疑問に思いながら走る。信号の度に赤信号が続いて、何回も停止した。このとき横着してフロントの変速を重い方に入れっぱなしだったことが災いしたのか、のちほど右膝が痛くなった。

日射がひどくなってきたので、コンビニでドリンクと一緒に氷を買って、ボトルに入れた。こうしてドリンクと共に氷を足している限り、常に冷たいドリンクを飲むことができる。ド田舎ではコンビニが少ないためこういうことができないが、今回は天下の国道1号なのでその点は便利だった。

やっと都会を抜け出して名鉄本線沿いの山間部に入り、ゆるやかな登りになる。このあたりから右膝の痛みが気になりだした。まだ初日なのに膝が痛みだしたため、かなり不安になった。途中で雷や稲妻が襲ってきたが、結局、雨には降られずに済んだ。

夕方6時前、ちょうど良い時間帯に宿泊予定地の豊橋に到着した。距離も200km弱走ったので、ここらでビジネスホテルを探すことにした。豊橋は最初はかなりの都会だと思った。駅前に近づくにつれ、大規模なビルが林立している。が、よく見ると建物が古く、20年以上前の街並みのままという印象を受けた。ホテルと同時に飯を食うところも探したが、(愛知県なのに)ココイチすら見当たらない。ようやく古ぼけたホテルを発見したので受付に行ってみたら、満室だった。こんなボロいのでも満室なのかと望みが薄い状態で次を探した。方向感覚が滅茶苦茶になってきたので、あてずっぽうに走っていると2軒目を発見。見た目は普通のビジネスホテルで空室も残っており、宿泊料金も5000円と安めだったので、受付で予約を済ませ、部屋に入らずそのまま晩飯を食うところを探した。結局、ホテル探しに40分位費やした。

晩飯もいいところが見つからず、チェーン店である「はなまる食堂」というところに初めて入った。納豆とオクラの入った冷やしうどんとささみの唐揚げ、オニギリ2個を食した。合計850円位。味の方は、まあ普通。セルフサービスのくせに価格が高すぎる。

迷いながらホテルに戻る。駐輪場がないため自転車を輪行袋に入れて室内に入れさせてもらった。ホテルの内装は、外観よりもさらに古い感じだ。廊下の天井についている感知器や非常照明は外れていて穴があいている。ろくにメンテもしてないようだ。

部屋に入って更に驚いた。ポットもドライヤーも何もない。あちこち黒くススけていて、特に設備機器まわりはドロドロのタール状のものがべっとり付着している。ユニットバスも、これまた70年代初期のタイプだが、天井はバキバキに割れ、壁はでこぼこのコーキングだらけの上、劣化して剥がれかけている。なるほど、これが安い理由のようだ。ビジネスホテルはこれまで何度も利用しているが、ここまでぼろいのは初めてであった。

建物内に飲み物もタバコも売っていないのに、有料チャンネル用のカード自販機だけは廊下に設置されていた。優先順位がおかしいだろう。有料チャンネルは、アダルトビデオと韓国ドラマの2チャンネルしかなかった。韓国ドラマは全然つまらなそうだ。9割以上はアダルトビデオ目的でカードを買うのだろうと思いながら、有料チャンネルのサンプル画面をつけたままにしていると、30秒ほどたったところで突然ボンという激しい爆破音がしてブラウン管の映像が消えた。テレビが壊れたのかと思ったが、これはかなり心臓にやばい。電源を入れ直すと、有料チャンネル以外は普通に映った。

着替えは持ってきてないので着ていた衣類を洗面台で水洗いし、下向けに固定したエアコンの羽根にハンガーを引っ掛けて乾燥させた。初の試みだったが、次の日の朝には完全に乾いていた。

次の日の朝に建物の定礎を見たら昭和47年竣工と彫られていたので、その時から内部の改修を全く行っていないのだと納得した。しかしこのホテル、万一火災などが発生したら必ず生きたまま地上に出られる自信が自分にはない。

冷房エアコンで洗濯物乾燥

●2006年8月13日

朝起きると9時前だ。もう少し早く起きるつもりだったので慌てて出発した。

走り出してすぐ、右膝が悪化していることに気がついた。豊橋を抜けて静岡県に入ると信号が少なくなってきたのは良いが、信号待ちからの漕ぎ出しをするたびに膝に鈍い痛みが走るようになった。走り続けている分には余り支障はないが、一旦停止すると変速を一番軽くしても膝にくる。

この日は、浜名・磐田・袋井・掛川・島田・藤枝・静清・富士由比と、ほとんどの区間がバイパスで占められているが、バイパスは軽車両通行止めであることが多いので別の道を通らなければならない。

浜名バイパスは軽車両通行禁止のため在来の1号線を走った。まだ昼前だったが、ココイチ豊田町店で昼食をとった。

袋井バイパスは自転車も通行可であり、走ってみると信号がないのは勿論、追風に乗って走ることができるので疲れた状態でも軽く時速35kmは出た。

掛川に入ると再びバイパス軽車両通行禁止のため、在来1号線を走る。ところが、バイパスと再合流した後の1号線にも軽車両通行禁止の標識が現れ、ここで初めて1号線から離脱せざるを得なくなり、旧道の県道を通って峠を越すことになった。旧道は1号線の近くを通ってはいるが何もない山道で、ただ土木工事の残骸が残っている殺風景な道だ。峠である「小夜の中山トンネル」を通過する時のみ1号線を共有するが、再び県道のわびしい道を走らねばならない。

国道1号 小夜の中山トンネル

 
この中山トンネルの近くに「夜泣石」という悲しい伝説にまつわる石があるようだが、結局実物を見ることはできなかった。薄暗いテンションの上がらない道なので、悲しいという雰囲気だけは伝わった。さらにトンネル峠を越えたあとも県道はさらに登り坂が続く。車も殆ど通らないため道を間違えたのかと不安になった。やがて下りにさしかかると対向側からコルナゴのロードレーサーとすれ違い、道路標識も現れ出したので安心した。

続く宇津ノ谷トンネルも新道と旧道の両方がある。自転車でも新道は走れるが、旧道トンネルは明治9年竣工のレンガのトンネルということで是非見てみたかったので、初めから旧道を走るつもりでいた。ところが、途中まで旧道を走っていたのにトンネルの手前にある道の駅につられて新道に入ってしまった。すぐに気づいて引き返そうとしたが、上り線と下り線が分離しているため激しい交通量のバイパスを逆走しなければならず、ほぼ自殺行為に等しかった。あきらめて、泣く泣くそのまま新道のトンネルを通過した。

国道1号 宇津ノ谷トンネル

 
やがて静岡市の市街地に入り、水分補給のためコンビニに立ち寄って再出発してからしばらくたってから、両手にグローブをはめていないことに気がついた。これがないと手が痛くなり走れなくなるので慌ててUターンしてグローブを探した。1つは尻とサドルの間から見つかった。もう片方は、コンビニの近くの車道の脇に落ちていた。結局、往復8km余分に走った。

清水に入った辺りからホテルがないか探しながら走ったが見つからず、とうとう富士由比バイパスに突入した。ここは自転車通行可能であるが、右手に駿河湾を眺めながら、高速道路と錯覚するかのような道が続き、調子に乗って膝の痛みも忘れ時速40kmペースで走り続けた。突然、途中の分岐から軽車両通行禁止区域に変わったが、勢いでそのまま直進してしまった。もう戻れないのでそのまま40km走行を継続。追い抜かす車の助手席の人間が驚いてこちらを見ている。さすがに途中で罪悪感を感じ一般道に下りることにしたが、早速道が分からなくなった。しかもバイパスを下りてから膝痛が激悪化してまともなフォームで走れなくなった。

迷いながらも富士川という広い川を渡り、富士市に到着。このまま1号線を走っても工場だらけでホテルがないためJR富士駅前まで行って探したが全て満室。結局、電話帳で一つ一つ調べて1号線から遠く離れた市役所近くのニューセントラルホテル(1泊6000円)で空室を見つけた。

後は外食する場所を探すだけだ。近くには焼肉のチェーン店しか見当たらなかった。こんなに疲れていたら焼肉なんか食う気がしない、と思っていたら300メートル先に見慣れた黄色い看板を見つけ、俄然テンションが上がり猛ダッシュ。この日一番のテンションの上がりようであった。ココイチ富士高島町店でいつも通りのポークカレー4辛単品ツナにありつくことができた。

ホテルの客室は、内装も新しく設備や備品も整っていて昨日とは大違いだ。製氷機も設置されているのでボトルに詰め込んだ。衣類を洗ったあとで、膝に貼る湿布を買うことを思い出して、浴衣にビンディングシューズという恰好でホテルから300m程離れた所にあるコンビニに行った。コンビニに行く途中で、靴の裏に違和感を感じたので見てみると、なんとソールが踵側からはがれてしまっていた。

ビンディングシューズのソールはがれ
(致命傷である…)

 
特に左足はほとんど全部取れてしまっていた。10年以上前に買った靴なので仕方がないが突然こんなことになるとは、バイパスではりきりすぎたのかもしれない。急遽、コンビニで瞬間接着剤を買うことになった。強力多用途と書かれているのを選んだが、樹脂は×と書いてあったが他に方法がなかった。ホテルに戻って湿布を右膝と右肩に貼り、接着剤を全部使ってソールをくっつけて、はがれないようテレビを重石にして固定しておいた。

瞬間接着剤とテレビで応急措置

 
●2006年8月14日

寝ている最中もペダルのことが気になり、眠りも浅く、ペダルを漕ぎ出した途端にソールが引きちぎれるという後味の悪い夢を繰り返し見た。そんなこともあり、目を覚まして真っ先にテレビをどかして靴を見た。かかとの方ははがれてしまっているが、つま先側は見た目上はしっかり接着されているので取りあえずひと安心。

ホテルを出てすぐ目の前に、昨日はふもとの方までしか見えていなかった富士山がくっきりと姿を現した。午前8時ですでに快晴の青空なので、今日は厳しいだろうなと予感した。

ホテルからの景色

 
出発して早速、道が分からなくなった。高架のバイパスが例により軽車両通行禁止であるが、その迂回路となるべき幹線道路が見当たらない。だいぶ躊躇したが仕方なく沼津バイパスに乗り上げた。30㎞までしか出せない原付が通行できるのだから、それより速く走れば安全なのだ。一晩湿布を貼っておいたお陰か右膝の痛みはだいぶ和らいでいたため、35kmペースで無理なく高速走行ができた。

いよいよ箱根峠の登り口までやってきた。まだ10時前だが、既に気温は35℃まで上がり日差しが強烈である。ほんの僅かの日陰スペースを見つけて30分程休憩。少し体力を溜めてから出発した。

緩い勾配が延々と続く2車線の道。その歩道を走るわけだが、歩道はほとんど使われていないため雑草で荒れていて非常に走りづらい。ただ、多くの車が伊豆の方へ折れていったおかげで交通量は半減した。ちょうど峠までの中間地点に小さな商店があり、飲み物とアイスクリームを買った。こんなところにもところどころ住宅地があり、ママチャリの小中学生が必死で坂を登っていて驚いた。

日差しは相変わらずきついが、標高が上るにつれて気温が下がり冷たい風が吹くため快適だ。膝に貼る湿布が3枚余ったので首と両肩に貼っていたが、これが効果てき面で非常にクールな気分のまま峠を登ることができた。

辿り着いた峠は道の駅やコンビニがあり、とにかく人や車やバイクが多かったが、自転車は1台もなかった。コンビニで買い物をしたが、接客態度は最悪でかなりムカついた。改造車に乗ったヤンキーをはじめ、老若男女問わずガラの悪そうな人物の割合が多く、客層がこれだから仕方ないとあきらめた。ほかにたいして見所もないので、しばらく休憩して峠を下った。

箱根峠

 
下り始めてすぐに渋滞。元箱根という観光地めいた所にたどりついた。予定していたルートと少し違っていたようだ。芦ノ湖という小さな湖がある。この何の変哲もない水べりにつられて人が集まって来るのだろうか。人が多くてすり抜けるのに苦労した。

元箱根から小田原方面に向けては登り返しとなる。。ドリンクは全て飲み果たしてしまっていた。峠を越えたというのに未練がましくアップが続いていることに腹を立てながら坂道を登っていく。

長い長い下り道に転じる。国道1号は道幅が狭いまま小田原の古い街並みに突入し、いかにも城下町の雰囲気が漂う。小田原から茅ヶ崎までの道のりはフラットの走りやすい道で、今回のツアーでは一番調子が出たところだ。

芦ノ湖

 
靴のソールは何とかはがれずにはいるものの安心して引き足を使えない状態であるため、できれば新品に交換したい。市街地に出たついでに自転車屋を探すことにした。

茅ヶ崎駅近くにロード専門のショップがあると聞いたので、時間をかけて探して入ってみた。ところがこの店には売るつもりのないような完成車(なぜかGIOSのみ)や店のオヤジのナルシスト写真やウェア等が飾られているだけで、売り物としての商品がほとんどない。店の中に女性がいたので聞いてみると、全て取り寄せになるという。店の入口のガラスや内部の壁には、手書きの汚い字で主義主張を並べた貼り紙や意味不明のイラストなどがあちこちに貼られている。なかには、キリシタンの教えのような貼り紙も複数あり、最後にアーメンと書かれている。この店は客を洗脳しようとしているのだろうか?そういえば女性の表情や仕草も洗脳トシそっくりだ。自分は7年前に三鷹の本屋でドサ廻り中の洗脳トシを生で見たことあるのだから間違いない。その宗教的な雰囲気に堪えられなくなってショップをあとにした。

洗脳ショップ

 
藤沢から横浜まではメリハリのない中途半端な坂道が多い。ここから先は、横浜の中心部に向けて進むに従って交通量が多くなる。長い坂道を登っていると目の前に車が故障して止まっている。声をかけられ、車を押してどけるのを手伝った。礼を言ってもらった。その後も、西日の強さと交通量の多さが徐々に増してきて、非常にダレた。下を向いて坂道を走っていると、何やら嗅ぎ覚えのある匂いが…。昼飯を食っていないことを思い出し、急左折ですべり込んだ。ココイチ戸塚区東俣野店で遅めの昼飯を食す。

保土ヶ谷区に入ったあたりからホテルを探しながら進んでいったが、意外と国道沿いにホテルはない。駅の近くにはビジネスホテルがあるだろうと思っていたが、その法則も当てはまらなかった。とうとう横浜駅まできたが、手頃なホテルがあるはずもなくさらに先を進むことにした。川崎市に入っても見つからず、かなり疲労がたまってきた。特に、尻のサドルと接触する部分がヒリヒリしてきて耐えられなくなった。多摩川を渡ってついに東京都に入ってしまったが、サドル痛は極限まで達して座ることができなくなっていた。ここから先は全て平地なのに立ちこぎで進むはめになった。

多摩川を渡り、ついに東京

 
やがて真っ暗になり、やっと一軒見つけたホテルは夏季休業の貼り紙がしてあり、テンションも最低で野宿を考えだした。ところが、環七の交差点まで来て「東京イン」とネオンの光るホテルを発見。空室があったので大喜びした。宿泊料金は7500円と高かったが、設備やサービスはあまり良くなかった。近くにコンビニがあり、弁当や焼き鳥やヨーグルトなど色々買ったが、半分以上食いきれずに捨てた。バテていたためか、やはりカレーでないと食えないようだ。ホテルを探しながら何十キロと走ったので精神的にも疲れた。後味の悪い疲れ方だ。結局、この日はテンションの低いまま一日を終えた。

●2006年8月15日

朝、ドアをノックする音で目が覚めた。時計を見ると9時45分だ。前日の疲れがひどく残っており、局所的な痛みよりも体全体のダルさが続いている。チェックアウトぎりぎりにホテルを出た。

今日は日本橋まで行った後、都区内をぶらぶらして帰るだけの予定だが、天候があやふやだ。皇居に向かって走っているときも、晴れと雨が交互に訪れる奇妙な天気が続いた。途中にある東京タワーでひと休憩。その後、皇居に沿ってしばらく走ったあと、ようやく目的地である国道1号線の始点、日本橋に到着した。ここまでの走行距離は、ホテル探し等でうろうろした分も含めて、540.54kmであった。

東京タワーをバックに撮影

  ゴールの日本橋で記念撮影

その後は、国道4号を北上。7年前は仕事の関係で足立区に住んでいたので、久しぶりに再訪することにした。日本橋を過ぎて、秋葉原、御徒町、上野と山手沿線を走る。人と車で混雑していて走りづらい。やがて千住大橋に到達、この隅田川から向こうを眺める景色が足立区だ。久々に見る荒川を渡って環七まで辿り着くと、あとは記憶を頼りに目的地まで進んだ。そして久々に当時のアパートに辿り着いた。

自分が住んでいた場所は埼玉県川口市との境界が入り乱れた所にあり、建設業やリサイクル関係の町工場や古びた家族寮、都営団地などが多かった。足立区内に転勤になった時、指定された独身寮からだと通勤に2時間もかかってしまうため自分で借りようと不動産屋に行ったが、風呂・トイレ付、敷金礼金なしで家賃4万円以下という無茶な条件で粘り、最後になってしぶしぶ紹介された物件だ。鉄骨2階のボロアパートだが、4.5畳のキッチンと6畳の和室、風呂とトイレが別々で家賃36000円と格段に安く、紹介された時は十分満足していた。しかし、窓を開けると隣りは工場の屋根が目の前にあり、真っ黒の油のようなものが垂れ落ちてきている。首都高速が真横を走っているので、窓を開けていればテレビの音など全く聞こえない。自分の真下に同じく一人暮らしで住んでいる20代位の男性は、毎夜2時~3時くらいになると「殺す」など意味不明の独り言や奇声を上げて家具を天井や壁に投げつけて暴れていた(ガラスを突き破って隣りのマンションとの間にあるフェンスを破壊したこともある)。5か月ほど住んでいたが、ほぼ毎日続いた。基本的に寝るためだけに住んでいたので、三日もすればどれも気にならなくなっていた。

その後、東京駅まで来た道を引き返した。昼飯は、昔よく利用した足立区内の定食屋に行きたかったのだが閉まっていたので、途中にあるココイチ御徒町昭和通り店でカレーを食った。あとは東京駅から輪行して帰るのみである。

ここで会社の同僚からスターバックスのタンブラーを買ってくるように頼まれていたのを思い出し、日本橋近くのスターバックスでタンブラーを購入した。その後、店の外にあるテーブルに座って煙草を吸ってしばらく休憩してから東京駅に向かった。八重洲口に到着し、ようやく東京への自転車の旅が終了した。

八重洲口で輪行する場所を探していると、ちょうど地べたで寝ているルンペンAの隣りが空いていたので、自転車を解体し始めた。しばらくすると、別のルンペンBがやってきて、「どっから来たんだ」と聞いてきた。「京都だ」と答えると、「甘い!遊びだがな。なんで日本一周しないんだ」と吠えてきた。唾が飛んできて輪行袋にいっぱいかかってしまった。しばらく適当に受け答えをしていたが、何を言っても「京都から東京までは遊びだがな」しか連発しない。「俺は大阪から姫路まで自転車で2時間で行ける」と自慢もしていた。そのうち、そのルンペンBが「おめえ、こんなとこで寝んじゃねえ、このルンペン野郎が」と、隣りで寝ていたルンペンAを蹴り始めた。ルンペンAは困惑していたが、蹴られ続けてもそのまま寝ていた。さらに別のルンペンCがやってきて「この自転車は何キロだ」と自分に尋ねてきたので、「9キロ位だ」と答えたら、ルンペンCは「本当か!軽いな」と感心していた。突然、ルンペンBが「お前はどっか行け」とルンペンCに空き缶を投げつけたので、ルンペンCは逃げるように自転車に乗りながら去っていった。その後、ルンペンBは勝手に自分の自転車を持ち上げて、今度は「重い!」を連発していた。「9キロは重い。俺が去年買ったやつはアルミでもっと軽い」と例の自慢が始まったが、ルンペンBの近辺には自転車など見あたらなかった。その後も一人で何やら喋り続けていたが、途中から全く聞いていなかった。多分、まともに聞いてもほんの少ししか理解できなかっただろう。

自転車を輪行袋に詰めて、切符を買って改札に入り、新幹線を待っているときに、購入したばかりのタンブラーがないことに気がついた。「しまった、あの乞食に気をとられている間に置き忘れてしまった」と思い、駅員に事情を説明して改札を出させてもらって、元の場所に走って戻った。だが、ルンペンAが寝ているだけで、タンブラーもルンペンBの姿も見えなかった。「しまった、ルンペンBに持っていかれたか!」と気づいてしまったが、もう手遅れなのであきらめてホームに戻ることにした。

新幹線で京都駅にて下車。再び自転車を組み立て、自転車を保管している勤務先の事務所まで戻ってきた。念のため、レシートを見てスターバックスに電話してみたところ、笑いながら「東京タンブラーですか?ありますよ」と言われた。店の外のテーブルの上に置きっ放しだったらしい。着払いで郵送をお願いしたところ、後日、向こうの送料負担で荷物が無事届き、親切に手紙まで添えられていた。東京も悪くないなと、この時初めて思った。

終わり

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