■槍〜穂高連峰縦走 MTB          ■自転車旅行記(年度別)へ   ■自転車旅行記(地域別)へ

●2009年9月18日〜21日

9月18日、新島々駅から上高地へ向けて出発。シルバーウィークの混雑を避けるために一日前倒しで休暇を取った甲斐あって、平日であるこの日は交通量も少なく、あの危険なトンネルの群れも支障なく通過できた。釜トンネルの中は冷房がきいているかのように涼しく、とても快適に走れた。予約していた横尾山荘に、予定より早めの時刻に着いた。キャンセル料を支払ってこの先の槍沢ロッジまで進もうか悩んだが、施設の立派な横尾山荘に泊まることにした。
9月19日、5時半に山荘を出た。槍を眺めながら行く快適な道。五連休初日であるが、休みを一日前倒ししたお陰で人も少なかった。
11時15分、槍ヶ岳山荘で昼食休憩。目の前の巨大な槍の穂先を眺めながら、チャリの持っていき方を考える。クサリやハシゴが整備されているが、両手両足でよじ登っている人の姿が点々と見え、見るからに険しそうだ。
ここは自転車を分解することに決め、ザックの後ろに縛りつける。剱岳以来の慣れない作業にずいぶん手間どった。ザックを背負ってふらふらと歩きだす。しばらくすると慣れてきたせいか安定してきて、クサリもハシゴも問題なくこなし、12時15分、頂上に立つ。北鎌尾根から登ってくるクライマーもいて、徐々に人が20人くらいまで増えたが、自転車を組み立てたりばらしたりするスペースは十分あった。
帰りも自転車を背負って下ったが、全て後ろ向きなので時間がかかった。戻ってきた槍ヶ岳山荘にて再び自転車を組み立てた。時間が遅くて微妙ではあったが、ここで泊まる予定を変更してこのまま南岳小屋まで進むことにした。その方が翌日、大キレットを人が少ない時間帯に通過できると考えたからだ。
昼食後、南岳へ向かって縦走を開始した。すばらしい天気だ。夏場のような雷雨の心配もなく、時間を気にせずゆっくり進める。大喰岳、中岳、南岳と、次々と3000m峰を踏破し、16時半に南岳小屋へ着いた。
五連休初日だが、まだこの日は宿泊者も定員以下だ。コースタイム11時間、累積標高差2000mを歩く、長い一日であったが、本当のピークは明日以降である。夜、風が強くなって途中で目が覚め、なかなか寝つけなかった。(さて、明日はいよいよ大キレット・・・)
↑カシミール3Dを使用して作成
9月20日、午前5時過ぎ。相変わらず風が強い。小屋の外に出てザックに自転車をしっかり固定し、他の宿泊者がまだ朝食前の時間帯に出発。ザックを背負うと案の定、背中の自転車が風にあおられてまっすぐ歩くことすらできない。道はいきなり岩場の急降下から始まり、数百メートル下の大キレットに向けてスッパリと切れ落ちている。自転車を背負っているので後ろ向きで下りだしたが、こうすると足元が見えづらく、足掛かりをさぐるのに苦労した。
遮るもののない稜線に出るたびに、信州側から飛騨側へ向けてすさまじい風が通り抜ける。7時37分、大キレットの核心部、長谷川ピークに取り掛かる。風で飛ばされそうになるのを必死でこらえた。岩に打ち込まれたピンや鎖を掴みながら、ほんのわずかの足がかりを頼りにナイフリッジの稜線を渡っていく。今まで体験した岩場とはまるで違う高度感。ちょっとでも手を滑らせたり、足の置場を間違えたりしたら、滑落して即死だ。全身から血の気が引く感覚を覚える。背中の自転車が風にあおられて大きく揺れ、まるで自分の体を壁から引き剥がそうとしているようだ。
長谷川ピークを振り返ると、後から小屋を出発した人がようやく追いついてきたらしく、絶壁に蟻のように這いつくばっている人間の姿が点々と見えた。この後も難所は続くのでひと安堵というわけにはいかない。7時53分、A沢のコル。地図には「ザックを下ろして休める」とあるが、風がまともに吹き付け、休憩するどころではなかった。8時25分、飛騨泣きを通過。北穂高小屋がまだまだ遠くに見える。
9時10分、まだ風が強い中、北穂高小屋に到着。緊張が一気にほどけ、一時間弱、小屋の外のベンチで休憩した。この場所から振り返れば、槍から続くこれまで辿ってきた縦走路が一望できる。当初、ここで自転車を組み立てる予定でいたが、ベンチで一緒にいた人らの話を聞いて、北穂高岳〜涸沢岳の間も似たような難所が続くということを知る。この先も自転車は分解したまま背負っていくことにした。
その通り、涸沢岳に向かって油断のできない危険箇所がまだまだ続いている。ただ、風は午前中に比べて弱くなった。とはいえ、目の前に突き上げるように聳える涸沢岳を見て戦意喪失。すでにバテ気味で、何度もギブアップしかけた。といっても、エスケープルートがあるわけでも戻れるわけでもなく、結局、前に進むしかないのだ。

13時20分、涸沢岳のピーク。もう、自転車を組み立てるのもじゃまくさいので、そのまま穂高岳山荘へ向けて下り始めた。
14時半、穂高岳山荘。涸沢から登ってくる登山客と合流し、ここでの大混雑は避けられなかった。自転車は目立たない所に隠し、組立てするのも中止して、明日の穂高岳山頂まではこのまま背負っていくことを決めた。トイレも売店も大行列。廊下も人であふれ返り、案内された部屋でじっとしていた。

部屋で靴下を脱いでみたら、両足のかかとの靴ずれが悪化し、500円玉くらいの大きさの穴があいて出血していた。さらに両足の親指の爪が真っ赤に内出血していて、指先で触れるだけでズキズキと痛んだ。靴ひもが劣化して、靴が締まらなくなったのが原因っぽい。
9月21日、5時。登山道での大混雑を避けるため、暗いうちから出発。すでに、山頂で日の出を迎えるために空荷で登っている人が多数いる。最初の急なクサリ場やハシゴでは渋滞が続くが、やがてばらけてきた。

登りの途中で日の出を迎え、5:50山頂に着く。山頂でチャリを組み立てる間にも徐々に人が増えてきた。南の稜線を見れば、西穂高岳まで縦走していく人々や空荷でジャンダルムまで往復する人々が点々と見える。当初は調子よければジャンダルムをと考えていたが、足の激痛でそれどころではないのであきらめる。

前穂高岳への吊尾根を歩きだして振り返ると、ロバの耳の根元には、10日前に墜落して3人の犠牲者を出した防災ヘリのテールローターの残骸が見える。
吊尾根の道は、思っていたよりも険しかった。足の親指と踵の痛みが増してきて、後続に次々と抜かされる。8:10ようやく紀美子平。ここから上を見上げるが、何とか自転車を分解しなくても担ぐだけで行けそうだ。他の人達と同じように、紀美子平にザックをデポして登っていく。

30分かけて前穂高岳に到達。山頂は広く、ゴロゴロした石が敷きつめられている場所で、奥穂から西穂にかけての尾根を望む素晴らしい眺めだった。下りは、登ってくる人とのすれ違いに時間をとられ、50分かけて紀美子平に戻ってきた。
岳沢までの下り、重太郎新道はガレた岩場の急降下が続く。足の痛みもある上に、常に日射にさらされているのが辛かった。案の定、穂高岳山荘で補給した2gの水も全て切れてしまった。岳沢ヒュッテ跡まで行けば水場があると聞いていたので、まずは岳沢ヒュッテ跡をめざす。実際に辿りついてみると、岳沢ヒュッテは跡形もなく、ぽつんと立っている仮設トイレの脇にポリタンクから水が垂れ流しになっていて、タンクには”飲めません”の張り紙が…。

しばらく悩んだあげく、脱水症状が悪化するよりは下痢をする方がましだと考え、その場でガブガブと飲み、パックにも1.5gほど詰め込んだ。飲んだ感じでは普通の水と変わりないし、特に腹を壊すこともなかった。
足をひきずるようにしながら、岳沢沿いの道を上高地まで歩いた。河童橋近辺は予想以上の大混雑。シルバーウィークのど真ん中で無理もなく、宿泊できる場所はなさそうだった。

とにかく温泉に入りたいと思い、釜トンネルを抜けた所の「卜伝の湯」に入るつもりだったが、受付をしている隣の売店には鍵がかかっていて入れない。ガラス越しに覗いてみると、前に見た店主はおらず、代わりに見知らぬアベックの姿がある。近くにいたガードマンは「中には誰もいない」と言う。安房峠にある中ノ湯温泉にも連絡してみたが、どうやら営業時間に間に合いそうになかったので、岐阜側へ行くのはあきらめ、またもや松本方面へ下ることにした。

沢渡で温泉に入った後、新島々までは夜間走行。松本に向かって長蛇の渋滞が続き、何百台もの車を抜いたり抜かれたりしながら危険なトンネルが連続する国道の走行。今回からテールランプをやめて反射板にしたが、一度も追突されることはなく無事通過。新島々駅では輪行が間に合わず、バラバラの状態で持ち込んで車内で輪行して帰った。
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