■笠ヶ岳~裏銀座縦走 MTB 2日目       ■1日目へもどる




黄色は車道、は山道を示す


●2017年8月11日


4:00、目覚めると目の周囲が腫れていることに気づく。目が完全に開かないのだ。昨日の日焼けが炎症をおこして目の周りの薄い皮膚がただれたようになっていて、負傷したボクサーみたいになっていた。目以外は何ともないのに…。

この日は三俣山荘までの予定だが、一日目の体力消耗が予想以上だったため、できればもっと先へと進みたい。
そこで、まだ日の出前の4:20頃に出発した。霧の中、ライトを照らして歩き始める。今日も天気は良くないようだ。

最初は昨日通ってきた平坦な道なのに、なぜだか息が切れて後続に次々と抜かされる。

最初のピークは抜戸岳。といっても縦走路はピークを巻くのだが、ピークハント狙いで寄ってみることにした。

ところがこの抜戸岳へ通じる道は、はっきりしない。ガレキの積み重なったような道を進み、濡れたハイマツの中をくぐり抜けて、6時前にピークに到達する。




下りは、わざわざ来た道を引き返さなくても、進行方向に沿って道があるはず。ところが、下る方向の道が見つけられない。印も全くないし、適当に進んで見ても絶壁の崖に阻まれてまたピークまで戻ることになり、来たことを後悔した。結局、縦走路目がけて左斜面の岩場を下って行くことにした。




浮き石の多い岩場を下っていく。当然、ペンキマークも何もない。




最後はハイマツのブッシュにつかまる。ハイマツに覆いかぶさった細い道筋を辿って行くため、よほど注意しないと見失ってしまう。カッパを着ていなかったため下半身がベトベトに濡れてしまったが、苦労した末に縦走路に復帰しホッとした。

縦走路では、反対側からやってくる人とたくさんすれ違う。挨拶をかわそうとしたところ、「ここは自転車持込み禁止だ!」と偉そうに言う白ヒゲ眼鏡ジジイに出くわした。どうやら小屋関係者ではなく、一般登山者のようだ。その風貌も小生が最も嫌う部類だったため、少し言い返してやった。高山縦走中は必ず約一人、ややこしいのに出くわす。町でも自転車を見つけては狂ったように怒鳴り散らす老害がたまにいるが(勿論狂ったように激しく怒鳴り返します)、あれと同じ類いだろう。




縦走路上にもハイマツが高く生い茂る箇所があり、ここでカッパを装着。




8:07、弓折岳と思って迷いながら辿り着いたピークが、その手前の大ノマ岳だと分かってガックリ。

コースタイムから大幅に遅れていることも分かった。このピーク付近は道が二重になっていて分かりづらく、行ったり来たりして迷った。結局、標柱も何もなく、どこがピークなのかさえ良く分からなかった。小ピークのピークハントはこれでもう止めにした。こんなことをしていたら本当に間に合わない。




9:20、大ノマ乗越の鞍部を経てようやく到着した、本物の弓折岳。すでにコースタイムを2時間近くオーバー。

標識を良く見ると「弓折岳山頂→」となっていたが、もうピークハントはしないと決めたのだからその手には乗らない、ここが弓折岳だと言い聞かせて行かないことにした。矢印の方にも道は延びていて三角点に通じているのだが、そもそも三角点が最高点ではない。なるべく体力を温存しなければ。

ここで朝食のパンを食そうとしたが、ひとかじりしか喉を通らなかった。




10:40、双六小屋。槍ヶ岳からのルートの合流地点であり、最も賑わっていた。このHPの存在を10年前から知っていて、自分も同じスタイルでMTBをやっているという人にも出会い、色々と話した。彼はもう一人の仲間と共に翌日、薬師岳を越えて黒部ダムへ降りる予定だといって、双六岳へ向かって軽やかに駆け上がって行った。




11:10、巻道分岐。まっすぐ進めば双六岳、三俣蓮華岳を経由する稜線ルートだが、迷うことなく巻道を選ぶ。双六岳、三俣蓮華岳はいずれ黒部五郎岳とセットで登ることになることになるだろうから、今回は無理して登らなくてもいいのだ。(余力があれば登ろうと思っていたけれど、とてもムリ)

ところで巻道は予想していた通り、岩場もありアップダウンが激しく自転車には全く不向きだった。ますますヘトヘトになった。

13:30、ついに目的地である三俣山荘へ到着。コースタイムで約6時間半のところ、ほぼ休みなしで歩き続けたにもかかわらず、なんと9時間を費やしてしまった。次の水晶小屋までは鷲羽岳を越えなければならず、コースタイムで3時間半かかることを考えると、この時間から縦走を続けることは無謀に思われる。天気予報も15時から雨となっていたし、実際、この時間から三俣小屋を出発して水晶小屋方面へ縦走を続ける人はいなかった。




あきらめて今日はここに泊まろうと思い自転車をその辺に立てかけると、子供の声で「そこは通路になっているので停めないで下さい」と注意された。なんと声の主は、小屋の外で一人で受付をしている小学校1~2年生くらいの子供だ。しかも立派な大人の言葉を使っており、小生の勤務先にいる受付もここまで丁寧な接客はしない。

しかしこういう子供店長とかは苦手だなぁ、受付するのもなんか緊張するし(しかし後になって写真をよく見ると「テント受付」なので関係なかった)、自転車もどこに置いていいのか分からないし、あまり深く考えずに次へ進むことにした。




13:45、小屋を出発。すぐに鷲羽岳への登りにかかる。はっきり言って、今まで登ってきた山の中で一番しんどかった。心臓が飛び出そうなほど苦しく、下ってくる人の挨拶に声を出して返事することもできず、ジェスチャーで返すか首を振るしか出来なかった。少しずつ登っては休憩を繰り返したが、細かいことは何も覚えておらず、写真を撮る余裕もなかった。安易に三俣小屋を出発したことを激しく後悔した。自転車で山頂をめざすなんて馬鹿なことはこれで終わりにしようとさえ思った。標高差も見た感じで200mくらいと思っていたが、実際は400mあった。9時間歩いたあとの400mは、そりゃきついはずだ。

15:15、鷲場岳の山頂。不思議なことに、あれだけ苦しかったにもかかわらず、コースタイムと同じ1時間半で登ってこれた。1時間半といっても、3時間くらいに長く感じた。天気もまだ持ちこたえている。暗くなる前に小屋に辿り着くことができるかもしれないと少し希望が見えたが、ここにきて水晶小屋との間にまだもう一つ先にピークがあることを知り、そのいかつい姿を見てまたテンションが下がる。




100m以上一気に下って、また登り返した先のこのワリモ岳のピークを通過しなければいけないのだ。どこか横からすり抜けるのではないかと思ったが、○印のペンキマークやロープが無情にも上へと導いている。早くやめたい…。




16:05、最後の力をふりしぼって、何とか本日最後のピーク、ワリモ岳に到着。

またもやピークはガスの中。でも、今はそんなことはどうでもいい。

幸い、雨もまだ降っていないし、日が沈むまでに小屋に辿り着けそうだ。





そしてワリモ岳からの下りで、猛烈な吐き気と共に、足が動かなくなった。燃料切れ(ハンガーノック)だ。朝からパンひとかじりだけで12時間ほぼ休みなしで歩き続けたので、ついに限界がきたようだ。その場で自転車を放り投げ、カロリーメイト(フルーツ味)を1個、むりやり水と共に流しこんだ。全く食欲がなかったのに、意外とすんなり喉を通った。でも2個は食べられなかった。

食べたらすぐに、また動けるようになった。不思議なものだ。




16:50、鷲羽岳と水晶岳との最低鞍部、ワリモ乗越に到着。

ガスが一時的に切れて、水晶岳(の手前の水晶小屋がある辺り)が見えている。結構遠くに見えるなぁ。ここから小屋まで100m以上登らなければならない。

17:30、ほとんど休まず13時間以上(コースタイムの1.3倍以上)歩き続けて、やっと小屋に到着した。小屋についたとたん、足がガクガクで立てずにしゃがみこんだ。ほぼ体力の限界まで攻めた一日だった。ほぼ同時に、反対方向(野口五郎岳方面)からやってきた5人組と小屋入りした。まず、到着が山小屋で安全とされる15時から大幅に遅れたことを小屋番から軽く注意された。そして、夕食はこれから米を炊くので7時以降になると告げられた。水は雨水をろ過したものを売っていたが、水不足のため1人1リットルまでしか買えなかった。

夕食はカレーでおかわり自由。食欲がなくてもカレーだったら沢山食べられると期待したが、小生にとっては少し甘く、さほど大量には食べられなかった。もう少し辛いほうが良かった。夕食の席で、同時に遅れてやってきた5人組と会話を交わす。5人組は老若男女のパーティーだが、午後3時過ぎに山岳パトロール隊の制止を振り切って野口五郎岳小屋を通過した際に、鬼のように叱られたそうである。自転車が見つかったらどうなるだろうと言うと、絶対に怒鳴られるから違うルートにした方がいいのではと言われた。別ルートといえば、真砂岳の分岐から竹村新道を通って湯俣温泉へ降りるルートしかないが、かなりハードそうである。明日、考えよう。

この日は超満員で、フトンは1枚で2人。しかもかなり幅のせまいフトンである。自分の足が、奥で寝ている人の頭と頭の間に入り込む位置関係にあり、寝る姿勢に気を遣った。

3日目へ続く

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